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大阪地方裁判所 昭和45年(ワ)298号 判決

原告

ベルクロ・ソシエテ・アノニム

右訴訟代理人弁護士

佐生英吉

外四名

被告

千葉良雄

被告

吉田特殊織物株式会社

被告

日本タッチ・ファスナー株式会社

被告ら訴訟代理人弁護士

内田修

外一名

主文

被告千葉良雄及び被告吉田特殊織物株式会社は、別紙目録(一)及び(二)記載のファスナー(目録中のA・B両者又はA若しくはBのいずれか一方。以下同じ。)を製造し、譲渡し又は譲渡のために展示してはならない。

被告日本タッチファスナー株式会社は、別紙目録(一)及び(二)のファスナーを譲渡し又は譲渡のために展示してはならない。

事実

〈前略〉

一  原告の特許権

原告は、名称を「分離自在のフアスナー」とする発明(以下「本件特許発明」という。)について、つぎの特許権(以下「本件特許権」という。)を有している。

特許登録番号 第二六二〇二三号

出願日 昭和三三年六月一六日(特願昭三三―一六九二二号)

優先権主張日 昭和三二年一〇月二日(スイス国)

公告日 昭和三五年一月二八日(昭三五―五二二号)

登録日 昭和三五年五月三一日

特許請求の範囲の記載

「互に引懸けられる様になつている鉤止部材を備えた二個の支持体にて形成された二個の可撓性部分を連結するファスナーに於て、該支持体の一方はその表面上に多数の鉤を備え、他の支持体はその表面上に多数のループを備えた事を特徴とするファスナー」〈後略〉

理由

第一原告の特許権〈略〉

第二本件特許発明の要旨〈略〉

第三本件特許発明の技術思想

成立に争いのない甲第三号証(昭和二九年五月一一日特許庁資料館受入のスイス特許第二九五六三八号公報)によると、本件特許権の優先権主張日前に、面と面とを結合するファスナーとして(名称は「結合装置」となつている。)同じ形状をした膨頭状あるいは彎曲鉤等の鉤止部材を二個の支持体に対向的に多数備え、この二つの支持体を互に押しつけることによつて、膨頭同志が互にははまり込んだり、右彎曲鉤同志が引つかけられて結合する技術が公知であつたことが認められ、また同様の構成を有するファスナーに関するものとして米国特許第二四九九八九八号及び米国特許第二七一七四三七号などが存在したことは、当事者間に争いがない。しかしながら、これらの面ファスナーにおいては、各鉤止部材はその位置に対応する相手方とのみ係合しうるものであるから、係合しようとする方向、部位によつては係合する機会が少いため、ときにより係合力に差異が生じ、全体として係合力が小さいという難点があつたとは容易に推察できる。右の事実に本件特許公報(甲第一号証)の「上記の如く鉤止されたベルベツト型の織物の層及び上記にテリー又はアンカットベルベツトとして述べたループ型の織物の層を使用する時に、織物の二層の鉤止装置又は連結装置からの分離に対する抵抗が改良される事が分つた。実際上、層の一つの各鉤部は、他の層のループ内に係合し、此等の二層の分離は、鉤部がテリー又はアンカツト繊維の層のループから逃出し得る様に鉤部全部に一時的な匡正を生ずるに充分な力が加えられた時にのみ生ずる。又、実際によれば、例えば平方cm当り一二〇個の鉤を備えた鉤付層は、同じ鉤付層に対して、鉤止点のない比較的大なる表面を示すことが示された。従つて鉤の約三〇%のみがこの形式の二層と係合することとなる。これに反し、同じ鉤をもつ同じ層で、前記の如く形成したループを持つ層を使用する時には平方cm当り約一〇〇〇個のループを持つ層は上記の鉤を鉤止せしめる可能性を非常に増大する。」とめ記載をあわせ考え、前記本件特許請求の範囲の記載に基づいて考察すると、本件特許発明は、鉤止部材を持つ二つの支持体によつて形成されたファスナーにおいて、鉤止部材として、一方の支持体の表面には多数のループを備え、他方の支持体の表面には右ループを引つかける鉤状部状を多数備えるときは、二個の支持体の両対向面に同一の鉤状部材を備えたものに比し鉤止部材間の係合が著しく多くなり、しかもファスナーの分離に対する抵抗が改良されるとの着想に基くものであると推認することができる。

そして、この種のファスナーにおける一方の支持体の鉤止部材としてループを使用した先行技術については、これを認めるべき証拠は本件にない。

そうすると、本件特許発明は、互に引懸けられる様になつている鉤止部材を備えた二個の支持体にて形成された二個の可撓性部分を連結するファスナーに於て、一方の支持体の鉤止部材にループを採用したところに発明の中核が存するというべく、一方の支持体に多数のループを、他方の支持体にこれを引つかける鉤状部材を備えて係合離脱を可能ならしめるという技術思想を解決原理とし、その具体化として特許請求の範囲の記載のとおりに構成したものと解せられるのである。

第四フランス特許第一一三九三六八号について

被告らは、本件特許請求の範囲に記載の技術思想は、その優先権主張日、既にフランス特許第一一三九三六八号公報の二頁左欄一〇ないし一四行に記載の、別紙第一に示す説明により公知であつた。すなわち右の箇所は「若し粗い毛織物の生地が問題である場合には、例えば上に説明したような帯状の一部をそこえ押し当てるだけで充分であり、この小さな鉤は表面のウールのパイルに固定される」と教示しているのであり、これは一方の支持体の表面上に多数の鉤を具え、これを他の粗い毛織物に押し当てて引つかけるという分離自在のファスナーについての技術思想を開示しているものであると主張し、右フランス特許公報、これに添付の訳文、関西学院大学教授高塚洋太郎の報告書と題する書面Verennes氏のフランス文文書等を援用する。

右フランス特許公報は昭和三二年特許庁資料館に受入のもので本件特許の優先権主張日わが国において公知であつたこと、右特許はフエルスター(Karl F〓rster)が、「小さな鉤状に屈曲した末端を持つ繊維をからなるパイルを有する織物固着具(ファスナーバンド)の製造と製造装置」との名称で、一九五四年一〇月二六日ドイツ国に対しなした特許出願に基づき優先権主張をなして一九五五年一〇月二六日フランス国に特許出願をなしたもので、その公報の被告引用箇所に別紙第一のとおりの記載があることは事実である。

しかし、右の記載はフランス特許第一一三九三六八号公報の全文を精読してもこれにより本件特許の技術思想が優先権主張日公知であつたとは認めることができない。

すなわち、右フランス特許公報には、添付の訳文によれば、先ず「本発明は重ねあわされる際にそれぞれの表面に付与された小さな鉤がかみあうことによつて、互いに接合する特性を持つた織物を製造する方法とこれの製造装置とに関する」と冒頭に記載してあり、次いで「従来このような織物に鉤を付与するための加工は次のようにし行なわれてきた、合成繊維からなるたて糸のループを細い棒で処理したのち横方向に切断すれば上記の細い棒の熱効果によつてループが熱可塑性状態にまで達せられて所望の形状を付与される」。「本発明によれば、ある種の素材(切断されたパイル織物)についてそれらが製織された織機の種類には関係なくすぐれたファスナー特性を備えた小さな鉤の加工が可能である」。「本発明による方法では被処理布の鉤はループを切断してつくられたものでなく、基布のたて糸が平行に置かれた第二の基布の材料とともに製織されたのちこの二枚の基布を対称的に切断して得られたパイルに対し鉤の賦形操作をほどこす。本発明の特徴は鉤が繊物面に対して垂直に起毛されている伸びた繊維の先端に賦形されていることとこれらの鉤がそれぞれ平行関係にあることである」。「本発明によれば基本から垂直に出た繊維の先端はそれらが変形可能となる可塑化状態に到達するまで加熱され、凹面切子面のごとき加圧要素によつて、繊維の軸線方向に向つて圧力を受け、ここでそれぞれの繊維の先端は統計的にはすべての方向に均一に小さな鉤に賦形される」等の説明がなされていて、被告引用文の直前の段落には、「基布から突起したパイルの鉤を構成する繊維が抜け落ちるのを防止するためには織物はできる限り緻密に織らなければならない。本発明によれば、このパイル状の繊維はその基布に対して裏面から化学処理あるいは熱処理によつて糊つけ接着させることも可能である。本発明によれば、この処理は鉤が加工される前でもあとでも実施できる」と鉤の脱落防止の措置について託載されており、行を改め、引き続き被告引用の文章が記載されているのであり、これに続く文章は、「たとえば、ナイロンやベルロンの名で知られている熱可塑性の合成繊維により、このように確かな方法で形成されている鉤は、大きな弾性を持ち、比較的長い使用の後も同様に上述した接着効果(ファスナー効果)の特性を確保する」というのであつて、前段の文章とは内容的な関連がなく、他に被告引用部分を詳記した記載はない。

そして右フランス特許の優先権主張の基礎となつたドイツ国出願の特許証第九六三五九九号に、「フツクの大きさと強さのため、この合着布を普通の布の上へ合着するよう働かせることは不可能である。なぜなら布の方がそのため起毛されて本来の性質を失うからである」旨記載されているのであつて、この記載は、本件特許出願人も、優先権主張時、多数の鉤を具えた織物を特にループの形成加工を施してない普通の織物に押し当てるだけでは、差し当り鉤は織物の繊維に係合するとしても、これを分離のため剥ぐときは織物の繊維は毟り取られ起毛して織物としての本来の性質を失うことは必定であるから、これをもつて分離自在のファスナーとして長期の使用に堪えうる技術とは考えていなかつたことを物語るものと解せられるので、右フランス特許公報の被告引用箇所の記載は、要するに、本発明による鉤の附された帯状基布をきめの粗い毛織物に対して押しつけると、鉤は毛織物の繊維中にはまり込み且つ繊維に引つかかり脱落することなく固定するとの利用方法につき附言したに過ぎず、これの記載だけから、ループと鉤との組合せからなる分離自在のファスナーについての技術思想が開示されたものとは認めることができる。

なお、右フランス特許公報の優先権主張の基礎となつたドイツ出願の原証には被告引用箇所に該当する記載は、添付の訳文によれば「粗面のウール地のばあい、同様にして作つた、たとえばテープ状にした織布片の押し付けで十分であり、そのときカギが表面のウール毛に固着するのである」旨記載されており、右ドイツ出願に基き優先権主張をしてアメリカ国に特許出願をした特許(第二八二〇二七七号)の公報によると、被告引用箇所に該当する記載は、添付の訳文によれば、「粗い毛織物地に対しては、このような接合固着バンドをその繊物表面に押しつけるだけで十分に接着目的を達し得る」旨記載されているが、右各記載はいずれも前記フランス特許第一一三九三六八号における引用箇所についてなした前記判断と同様の趣旨に解せられるのである。

第五被告らによるイ号及びロ号の製造・販売等

一被告らが、原告主張のように現在もイ号ないしロ号を製造・販売しているとの事実については、これを確認するに足る証拠はなく、かえつて、弁論の全趣旨によれば、現在は被告らにおいて右製造・販売をしていないものと推認される。

二しかしながら、イ号につき、昭和四四年四月から昭和四五年五月まで、被告吉田特殊織物株式会社がそのA面の中間品を、被告千葉良雄がそのA面をそれぞれ製造・販売していたこと、ロ号につき同月以降しばらくの間被告吉田特殊織物株式会社がそのA面の中間品を、被告千葉良雄がそのA・B面を製造・販売していたこと、被告タツチファスナー株式会社がほぼ原告主張のとおりの販売をしていたこと、以上の当事者間に争いのない事実に、〈証拠〉をあわせ考えれば、つぎの事実が認められる。

被告Cは、昭和三五年ごろ原告の本件特許発明の実施品の売買をしようと考えたが、買受価格の点で折り合いがつかなかつたため、自ら同種のファスナーを作製することを企て、約六年ほど後一応作製の方法に想到したので、昭和四一年ごろ訴外I繊物株式会社社長にその方法を教示して、イ号よりやや細長い軸を有するA面と半円形のループを備えるB面とよりなるファスナーを製作させ、自分は販売会社として設立された訴外日本P株式会社の取締役として右ファスナーの販売にあたつた。しかし、原告から右ファスナーが本件特許権の侵害となるとして、右両訴外会社に侵害差止の訴訟が提起された後である昭和四三年五月三一日に取締役を辞し、右両訴外会社との関係を絶つた。そして、遅くとも昭和四四年四月ごろからは、被告Y特殊織物株式会社にイ号のA面にするためのナイロン織布にポリププロピレンのモノフイラメントが立つている状態のものを製造させてこれを買い受け、被告Cが右モノフイラメントの先にキノコ型膨頭部をつける加工をしその裏面を加熱してモノフイラメントをナイロン繊布に固着してA面を完成し、B面としてはトリコット編の生地に裏面からコーテイング(糊づけ)したものを下請業者に作製させ、同被告において表面を起毛し、適宜切断してB面を完成させ、A・B両面をあわせて、同被告が取締役となつており織成ファスナーの製造・販売を目的として設立されたた被告日本T株式会社に売り渡し、同会社においてタツチファスナーという商品名で多数の販売店を通じて販売していた。その後昭和四五年五月ごろからは、被告らは、イ号と同様の分担で、B面のみが異なるロ号も製造・販売するに至つた。この間、原告代理人から被告Cに対し、イ号が本件特許権の侵害になるから製造・販売を止めるようにとの警告が発せられ、同被告においてその製造・販売を一応中止する旨の回答をしたこともあつたが、後には、原告代理人より被告日本T株式会社及びその販売代理店に対しても、イ号及びロ号につき同様の警告があつたためもあつて、同会社における販売は困難となつた。そこで被告Cは、直接自分でもイ号及びロ号を販売することとし、この状態は、早くても昭和四六年半ば過ぎまで続いた。〈証拠判断・略〉

三以上の事実は、被告らが本訴においてイ号及びロ号の製造・販売は本件特許権の侵害にならないとして強く争つている経過に照しても、本件訴訟が侵害の有無について判断を示すことなく終了するような結果となつた場合に、被告らにおいて前同様にイ号及びロ号の製造・販売をし、販売のための展示をするおそれは十分にあることを示すものというべきである。

被告らは、あるいは被告日本T株式会社が倒産し、あるいは被告Cがファスナーに関して有する特許・実用新案を受ける権利をすべく訴外K紡株式会社に譲渡したとして、再びイ号及びロ号を製造・販売するおそれがない旨主張するが、かりにそのような事実があつたとしても、前示判断を左右するには足りない。

四なお被告は、A面及びB面に対する差止請求について、特許法第一〇一条第一号は厳格に解すべきであり、B面は一般市販のものに過ぎず、A面はファスナー以外にも使用の途がある旨主張するが、B面が一般市販のものそのものでないことは前認定のとおりであり、A面については、乙第四号証中に別の用途に使用した事実をうかがわせるかのような記載はあるけれども、およそいかなるものでも絶対他に転用できないということはないことを考え、また、A面がその構造上(後述のように)ループを有するB面と組み合わされてのみ、その本来の機能を発揮しうるものであることを思えば、A面及びB面は、それを組み合わせたファスナーの生産にのみ使用するものとみるのが相当である。

第六イ号及びロ号と本件特許発明との対比

イ号及びロ号は、一方の織物支持体Aに合成樹脂材料のモノフイラメントをその両端が表面に突き出すように織り込み、その突出部の先端にキノコの傘型の膨頭部を形成してなるキノコ型小片状の係合部材を多数備えたものであり、イ号の他方の編物支持体Bはその表面に浮くようはジグザグ状に編み込まれた合成樹脂材料のマルチフイラメント糸が個々のフイラメントに分離して形成された多数の浮き上つた円孤状の係合部材を備えたものであり、ロ号の繊物支持体Bはその表面に浮くように織り込まれた合成樹脂材料のクリンプを有するマルチフイラメントからなる多数の円孤状又は橋状の繊維の係合部材を備えたものである。

一被告らは、イ号及びロ号は、キノコ型小片の膨頭部が密設してある円孤状等の繊維を押し開いてその中に没入し、その繊維の押開状態から復元する弾力によりスナツプ(ホツク)と同様の原理により結合されるのであつて、互に引つかけ合うことによつて結合するものではない旨主張するので、この点について考察する。

〈証拠〉を総合すると、つぎの事実が認められる。

本件特許発明のファスナーにおいて、両支持体を重ねあわせて押圧すると、鉤はループの中に没入し、両支持体を分離しようとする力が働くと、鉤とループが鉤の曲折部又は鉤の形状によつては鉤の曲折部と軸との接点等において引つかかりあい、分離に対する抵抗を示す。右分離力がさらに強くなると、鉤は、ループとの係止点(鉤とループとが引つかかりあつている点)と支持点(鉤が支持体に支持されている点)との間の部分において弾性変形させられ、右変形によつて、ループの鉤に対してなす角が係脱限界に達すると、ループは鉤の曲折部をスリツプして(本件特許公報の図面に示されたような形状の鉤においては、スリップにより係止点が移動し前記の角が係脱限界に達しなくから、さらに分離力が強くなつて右の角が係脱限界に達することによつて再びスリップすることを繰り返すことになる。)、鉤との引つかかり合いを解き、両支持体は分離される。鉤とループとの係合が解かれると、変形していた鉤は、その弾性により原形状に復する。

イ号及びロ号において、A・B両支持体を重ねあわせて押圧すると、イ号においては、キノコ型小片は、合成樹脂材料のマルチフイラメント糸が個々のフイラメントに分離されて形成された多数の円孤状に浮き上つた繊維の中に、ロ号においては、キノコ型小片は、合成樹脂材料のタリンプを有するマルチフイラメント糸からなる多数の浮き上つた円孤状又は橋状の繊維の中に、それぞれ没入する。A・B両面を分離しようとする力が働くと、キノコ型小片とそれが没入したところにある円孤状ないしは橋状の繊維又は繊維の束とは、キノコ型小片の膨頭部の下部面と右繊維とのなす角度が、係脱限界をこえ、若しくはこえない状態で相互に接触する。そして、係脱限界をこえたループは、キノコ型小片の膨頭部をスリップして、キノコ型小片からはずれ、分離に対する抵抗を示さない。係脱限界に達していないループは、キノコ型小片に引つかかり、分離に対する抵抗を示すが、分離力がさらに強くなりキノコ型小片が変形されて、ループとの角度が係脱限界に達すると、ループはキノコ型小片の膨頭部をスリップして、これとの引つかかり合いを解き、A・B両面は、離される。キノコ型小片とループとの係合が解かれると、変形していたキノコ型小片は、その弾性により、原形状に復する。右キノコ型小片の変形は、ループとの係止点とキノコ型小片の支持体によつて支持されている点との間で行われる。そして、右キノコ型小片は、合成樹脂製のモノフイラメントを両端が表面に突き出すように織物に繊り込んだものに加工したものであるが、その織物には前認定のように裏面から加熱加工が施されており、これによつてモノフイラメントが織物に固着しているものであるから、キノコ型小片としては、繊物の表面のみによつて支持されているのではなく、主として織物の内部のむしろ裏面に近い部分によつて支持されているのである。そして、キノコ型小片にループによる力が加えられたときには、片持梁の原理により右の支持点に近い軸の部分に最大の弾性変形が起るが、ときによつてはこれが織物の内部にあるため表面にあらわれたところだけ見ると、一見、キノコ型小片の軸部が変形することなく、根元から傾斜したように感ぜられることがありうるが、そうだとしても、キノコ型小片がループとの係止点と織物との支持点との間で変形していることには間違いなく、また前掲各証拠を詳細にみれば、織物の表面に出ている軸の部分及び軸と膨頭部底面のなす角においても多少の変形がみられるのである。

右認定事実によると、本件特許発明の鉤も、イ号及びロ号におけるキノコ型小片も、ループないし浮き上り繊継に引つかかることによつて両支持体を結合させ、ループ係止点と支持点との間の部分の弾変形により、ループとの引つかかりを解くことによつて両支持体を分離させるという機能の点において同一のものといわなければならない。

被告らは、イ号及びロ号はスナツプ(ホツク)と同様の原理によつて係合分離するものであると主張するが、前記検甲第一、二号証の各B面及び検乙第一号証の二(B面)をみても、被告らのいわゆる浮き上り糸が、キノコ型小片を挾持して分離に抵抗を示すほどの弾力を有していないことは明白であり、また仮にその様な弾力を有しているとするならば、膨頭部下面がほぼ平面状をなして軸と直角に接続しているキノコ型小片が右の強い弾力を有する繊維を左右に押し開くことはほとんど不可能というべきであるから、被告の右主張は採用できない。

また、被告らは、イ号及びロ号においては、キノコ型小片に引揃え状にかかつた浮き上り繊維が繊維自体に緩みを生ずるか又は繊維が延びることにより開股状となつて、繊維がキノコ型小片の膨頭部をスリップすることによるか、繊維が切断されることにより分離が行われるとも主張するが、前記検甲第一、二号証及び検乙第一号証の一、二によつて試みても、A面とB面の分離は、単に両者を一端から反対方対方向に引き離すことによつてのみ行われるのであつて、この間に被告ら主張のような繊維の緩みや延びがあつたとしても、それが引き離す力による緩みや延びをこえてキノコ型小片の弾性変形を要せず繊維を開股状になしうる道理はなく、さらに、反覆使用が可能であることを必要不可欠とするファスナーにおいて、その係合部材の切断ないしは脱落を係合分離の原理とみることのできないことはいうまでもないから、被告の右主張もまた採用できない。

被告らは、その他、キノコ型小片の軸の太さと長さの割合等を根拠として、本件特許発明の鉤との機能の差異を種々主張するが、そのいずれもの点も前記認定を覆すべき本質的な差異とは認めることができないから、これらの主張もまた採用のかぎりでない。〈証拠判断・略〉

そうすると、イ号及びロ号は、互に引つかけられるようになつている鉤止部材を備えた二個の支持体で形成された二個の可撓性部分を連結するファスナーであるというべきである。

二被告らは、本件特許発明におけるループは、本来環状のものを指称し、少なくとも相当な(開股巾の二倍以上の)高さに支持体から突出した馬蹄形のもの若しくは、そのようになしうるものであると主張する。

なるほど本件特許公報に図示されているループは、被告主張のような形状のものであるけれども、右は実施例として示されているに過ぎず本件特許発明の明細書にループの高さ形状についてなんら特定した記載はない。したがつて、本件特許発明にいう「ループ」とは、その語の通常意味するところを本件特許発明における機能等に照して判断するほかはない。

〈書証〉によると、ループとは、わなともいい、通常ひもや糸が円形又は半円形となつている状態を意味するものと解せられ、これに、前示のとおり本件特許発明においては、面フアスナーの一方支持体の鉤止部材にループを採用したところに発明の中核が存するとみられること、並びに前認定のとおり本件特許発明における鉤がループを引つかけうる等前記の機能を有するものであることをあわせ考えれば、ループとしては、右の鉤に対応してこれに引つかけられる機能を有し、繊維等のループを形成する材料が支持体の表面に対して膨らむようにその両脚部を支持体に植え込まれた状態に形成され、全体として彎曲形状をなし、支持体を含めて切れ目のない形状のものであれば足りループの形状及び支持体に対する角度並びに配列等について、右以外に何の制限もないものであり、被告ら主張のようなものに限られるものではないと解すべきである。

そして右甲第一号証においては、ループを形成すべき材質及び支持体に対する配列・角度等については、何の限定もなされていない。

被告らは、原告が本件特許発明に対応する米国特許第三〇〇九二五号の審査過程において、先願特許である米国特許第二八二〇二七七号特許明細書を引用されたのに対し、ループの材質、配置、形状等を特定して反論したとして、本件特許発明におけるループを被告ら主張の如きものに限定されるべき旨主張するが、かりに、右のような事実があつたとしても、右米国特許第二八二〇二七七号も前記フランス特許と同様面フアスナーの一方支持体の鉤止部材としてループを採用した技術思想を開示しているものとは考えられず、したがつて、これに対する反論も意味のないものであり、まして、これがわが国における本件特許発明のループの意味を左右するに足るものとは到底いいえないから、被告らの右主張は採用できない。

被告らはまた、イ号及びロ号におけるB面は市販のトリコットの起毛布であつて、何人にも使用を許されているいわゆる自由技術に属するものである旨主張するが、イ号およびロ号におけるB面はループが毛羽立たないようにするため、裏面からコーテイング(糊づけ)を施されているものであつて、市販品そのものということできないことから、被告らの右主張も失当である。

そうすると、イ号の編物支持体Bの表面に浮くようにジグザグ状に編み込まれ合成樹脂材料のマルチフイラメント糸が個々のフイラメントに分離して形成された多数の円孤状の係合部材、並びにロ号の織物支持体Bの表面に浮くように織り込まれた合成樹脂材料のクリンプを有するマルチフイラメントからなる多数の円孤状又は橋状の繊維の係合部材は、いずれも本件特許発明におけるループにあたるものであり、イ号及びロ号は本件特許発明の一方支持体におけるループを備えているというべきである。

三原告は、本件特許発明における「鉤」は、ループと引つかかりあうことによつて二個の支持体を結合し、弾性変形によりループから離脱することによつて両支持体を分離するという機能を有するものであれば足り、その形状として引つかかつたループの逃出を防ぐ曲折部とこれを支える軸部を有することのほか、形状・材質・製造方法について何らの制限もないから、イ号及びロ号のキノコ型小片は本件特許発明の鉤に含まれると主張し、被告らは、鉤は本件特許公報に図示されたとおりの先端部が彎曲した形状のものに限定されると抗争するので、この点について判断する。

前認定の本件特許発明の技術思想及び前記特許請求の範囲の記載によれば、本件特許発明における「鉤」がループを引つかける機能を有するものとして鉤止部材に採用されたものであることは明らかである。

簡野道明著字源及び貝塚茂樹ほか二名著漢和中辞典には、いずれも、鉤の意味として、かぎ、物を引つかけるのに用いるとの旨が記載されており、さらに後者には、鉤の字の句が音を表わし、まがるの語源からきている、金属を曲げてひつかけるようにしたものなどと解説されている。右によれば、鉤という文字の典型的な意味は、棒状のものの先を屈折ないし彎曲したものにあるとみられるが、広義では、右のような形状のものでなくても、物を引つかける部分を備えたものでこれに似た形のものをも意味するということができよう。

ところで、本件特許公報には、発明の詳細なる説明の項に、ループ状に形成した繊維の一方の脚部を切断することによつていわば釣針状の鉤(多少の変形を含む。)を製造する方法及びその装置が実施例として詳細に述べられており、図面にも右形状以外の鉤は示されていない。

そうすると、本件特許発明にいう「鉤」とは、その公報図面に示すような釣針並びに少なくともこれに類似した形状の鉤部止材を意味すると解すべきである。

イ号及びロ号におけるキノコ型小片は、別紙図面第2図、第3図、第8図及び第9図に示されているとおり、底面を平面にしたほぼ半球状の膨頭部を有し、右底面の中央に垂直に軸が出ているという形状であり、本件特許公報図面に示された釣針状のものとは形状において同一でないのは勿論類似のものともいい難い、いわば特に案出した形状というべく、「鉤」の語だけ読み、あるいは聞いて通常直ちに思い浮べる形状といえるものではない。しかも、乙第二号証によると、本件特許発明の一実施品と認められる釣針状の彎曲部分を有する鉤を備えたフアスナーに比し、キノコ型小片を備えたファスナーは、たての牽引力において約四倍、横引牽引力に対して約一〇倍の抵抗を示すことが認められるのであり、ファスナーの使用の態様において、横引きの力に対する強い抵抗力が要求されることは容易に推認されるところである。ところが、本件特許明細書には鉤止部材としてキノコ型小片を用いることについてはなんら触れるところがない事実に徴すると、本件特許発明者が鉤止部材としてキノコ型小片を用いることによる前記優秀さについて気がついていたとは認めないし、本件特許出願人が鉤の例示として最も一般的な釣針状の鉤の形状を示しただけで、当業者においてこれから直ちにキノコ型小片を用いた方が係合離脱の際の機能がはるかに大きく発揮されることに気づくことは必ずしも容易であるとは言えないかもしれない。そうだとすれば、本件特許が賦与された後においても、ループとキノコ型小片との組合せからなる面と面を係合離脱せしめるファスナーの技術につい出願があれば新たに権利が賦与される可能性なしとはしないであろう。

しかしながら、イ号およびロ号におけるキノコ型小片も本件特許公報図面に示す釣針状の鉤が有する機能、すなわち鉤がループと引つかかりあうことにより二箇の面を結合し、鉤の弾性変形によりループから離脱することによつて、二つの面を分離するという機能のすべてをそのまま有するのみならず、その形状は、その膨頭部の底面が垂直に出ている軸に支えられた曲折部を有し、その曲折部は軸を中心とし、その全周方向に向つて存するような形状であるが、これは、本件特許公報図面に示す釣針状の鉤をその形状ならびに機能を失うことなく多数、その曲折部が軸を中心として一回転した軌跡に余すところなく存するように軸を集束した形状であるとみることができる。

四以上によれば本件特許公報においては、鉤止部材として釣針状の鉤の形状を示したにとどまり、キノコ型小片についてはなんらの開示がしてないとしても、キノコ型小片は本件特許発明と係合離脱についての解決原理を同じくし、しかも、本件特許発明にいう鉤の形状、ならびにこれが有する機能をそのまま保有しているから、イ号ならびにロ号の製造販売等の行為は本件特許発明の実施を伴うもの、すなわち本件特許発明を利用するものと認めるべきである。

五なお、被告らは、前記フランス特許に被告ら主張のような技術思想が開示されていることを前提として権利濫用等の主張をしているが、その前提を欠くことは前示のとおりであるから、右主張の採用できないことはいうまでもない。

第七以上認定したところによれば、イ号並びにロ号(これらのA面又はB面のみを含む。)の製造・販売等は本件特許権の侵害を免れないものというべきであるから、そのおそれを予防するため主文のとおりの差止を求める原告の請求は理由がある。

よつて原告の請求を認容し、仮執行の宣言は相当でないと認めるのでこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(大江健次郎 楠賢二 庵前重和)

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